忖度2018
以下は、2018年8月5日にメモしたものだったようです。
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国家行政の最高責任者は,「そんなことは言っていない。」と繰り返されますが,人事権,政策決定権を(少なくとも立場上は)全てその方が握ってます。そうすれば,放っておいても「忖度」して,自分の言うことを聞いたような行動をみんながとってくれるのではないでしょうか。それが万一批判されても,「そんな具体的指示は一度もしていない。」と言えばいいと思っていらっしゃるような気がします。
最近の官僚の方々のあからさまな不祥事に,「何であんな不祥事のイロハに書かれていることを,省内全体に不祥事防止を指導する立場の方々が守れなかったのか?」と疑問に思いましたが,遠因は「一人独裁」にあったのではないかと思えてきました。
自分の能力を人事や政策で発揮できない状況が続けば,多くの場合、(1)決定権を握っている者の従者になるか,その者の意向を推し量って,冷遇されないようにする,(2)公式の場で自分の志を遂げることは諦めて,裏での利益追求で鬱憤を晴らす,などの対応をするのではないかと思います。それが普通の公務員でなく,極めて有能な官僚の方々なら余計にそうだろうと思います。
若い頃,「優秀な人なら,悩みなんかないだろう。」と思っていたことがありましたが,下から見れば「十分成果を上げている」と見える人でも,その人の基準や要求水準からすれば不十分かもしれませんし,優秀な人ほど,その能力を十分発揮できる場を求めるのでしょう。
スポーツ界の度重なる不祥事も同様の気がします。「選手にそんな具体的指示は出していない。」というのは,そうかもしれません。しかし,「忖度しないと次からは試合に出してもらえないかもしれない。大学自体の管理職も兼任しているから,部活動以外でも冷遇されるかもしれない。」と思えば忖度するでしょう。「終身会長」などという地位を作って(?)おきながら,「具体的指示も出していないのに,忖度されても困る。」とは・・・。
しかし,某国の小独裁者の方々ばかりでなく,世界の大国の大独裁者についても支持率は下がりません。確かに,これらの方々の独断専行の中には,「誰かが悪者になって今やらなければいけない」というものもあるのでしょう。だとしても,どこかで自浄作用が働かなければ,いつか破綻するのは,行政機関の現最高責任者が好きだと思う戦前の某国の歩みをみても自明だと感じます。
その点某超大国は,独裁者が出ても地方自治が某国より強いし,良くも悪くも国民の考え方のばらつきや差が大きいので,連邦政府が何と言おうと,州単位・市単位では造反することも可能だろうし,現にそうした動きが出ているようです。翻って某国は凝集性が高く,先頭が行く方向にみんな従う傾向があるように思います(私もその一人です)。大丈夫かなあ?
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3年半前のメモは以上です。
今、半藤一利 2009 『昭和史 1926-1945』(平凡社ライブラリー版)と、内田樹 2021 『コロナ後の世界』(文藝春秋)を読んでいます。半藤さんは戦前の日本政府や日本軍の失策(無策?)を克明に述べられ、内田さんは2019年から2020年頃の日本の政治指導者や日本そのものの戦後の在り方について、痛烈に批判されています(と私は感じました)。「〇〇を取り戻す」みたいなスローガンを同時に掲げた二人の指導者が、とりあえず表から退かれた今(お二人とも再起や舞台裏からの影響力行使をなされようとされているのかもしれませんが)、半藤さんや内田さんの論考も読みながら、今を少し考えたいと思っています。
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