ワルツ「金と銀」

FMでワルツ「金と銀」が流れて思い出したのは、小学校の給食後の掃除中の音楽だったことです。家族に話したら「掃除中にしては、ずいぶんゆったりした曲だね」と言われましたが、展開部?では力強いリズムも刻まれるので、それなりに掃除のテンポも上がるのではと思いました。

ところで、私は一時給食が苦手で食べるのに時間がかかることがありました。当時は、「食べ終わるまで残される」ということが珍しくなく、記憶が確かなら「金と銀」が流れる中、周りで掃除をする中で食べ続けていたこともあったように思います(半世紀以上前のこととはいえ、とても非衛生的なので、記憶違いがあるかもしれません)。

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「(受刑者は)完全にロボット化され・・・」?  2018.6.8

2018年5月18日の朝日新聞に北大名誉教授の玉城英彦という方が,日本の刑務所運営に関するコメントを寄せられていました。全体の記事は,松山刑務所大井造船作業場からの逃走事故を機にしてかかれたものです。

 

この方は公衆衛生学が専門のようですが,刑事政策についても勉強されているのでしょうか。初めから,「(日本の刑務所では)(受刑者は)完全にロボット化され,受刑者の自立心と協調性は育たず,スムーズな社会復帰が妨げられる。」と断定されていますが,それほど単純な話ではないと思います(注・新聞社の編集上の都合で,元々の氏の言い方とは印象が違うのかもしれませんが・・・)

 

開放的施設での再犯率を一般の施設と比較するのは,余り意味がありません。氏もおっしゃるように「模範囚」を収容していますから,一般の施設の被収容者とは初めから違いが大きく,開放的処遇の効果を示唆しようとしての「単純比較は適切ではない」のです。

 

「検挙人員に占める再犯率が上昇」しているというのは,法務省や警察庁も言っていますが,刑事政策を研究対象とする社会学者からは,「再犯者の数は増えていないが,検挙人員の方が減っているので,結果として,見かけの『再犯率』が上がっている可能性もある。」という見解も示されています。

 

また,開放的処遇が「世界的な流れ」というのは,必ずしも間違いではないでしょうが,この方はどのくらい全世界の刑務所のことを御存知なのでしょう。1999年頃のアメリカでは,開放的処遇がある一方,"Maximun Security"の施設も増えていて,そこでの非人間的な処遇が問題になっていました。もちろん,アメリカ合衆国は,そうした多様性を特徴とする国です。

 

また,ノルウェーやイタリアのことは知りませんが,刑事政策の国際比較をする場合,国によって違う刑事システムや,犯罪事情などを考慮する必要があると思います。また,日本でも,海外から来た,余り刑事政策に詳しくない「識者」には,おそらく「目玉施設」を見せるだろうと思いますので、日本の非専門家が海外の刑事施設を視察したときも、同じような配慮がされる可能性があるのではないかと懸念します。

 

最後の締めくくりは,「受刑者の更生事業をより積極的に,かつ効率的に展開することが,求められている。」とのことですが,具体的に何を考えていらっしゃるのでしょうか。言葉自体は間違いでないと思いますが,それを政策として実現するには,多くの困難が伴うでしょう。これは,「日本の文化に合った新しい模範を世界に示す覚悟が必要だ。」という,その少し前の言葉からも感じました。

【追伸】

その後、同氏が以前学生の方と札幌刑務所などを授業の一環として見学しておられ、共著で『刑務所には時計がない』という本を出されていることを知りました。読ませていただいてから、改めて考えさせていただきます。

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被害者支援

新聞に被害者支援を訴えてきた「あすの会」解散の記事が載っていた。署名を見ると,「河原理子」とあった。まだ,被害者保護や被害者支援の問題が今日ほど一般に知られる前に,新書で被害者保護のことを書かれた記者の方だ。(2018.6.4)

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矯正不可能の判断

2018年5月27日(日)の午前6時台のNHK総合テレビで,娘さんを20歳で同級生の男性に殺された方のことが放映されていました。その方は,今は,刑事施設や少年院へ行って講話をなさっているとのことです。そこでは,遺族の苦しみを訴えるのではなく,再犯を防ぐためには,元加害者が幸せにならなくてはいけないと思うという考えを伝えようとしていらっしゃっいました。難しいことで,受刑者の多くは「そんなことを考えてはいけないと思う。」という感想を述べるとのことです。しかし,victim-offender mediationを考える一つの視点かなあと思いました。

その方のことをネットで検索していたら,「河村龍一」という「元刑務官」の方が,真っ向から反論しておられました。この方は,「自分は異常者を収容する刑務所にいたからよく分かる。」とされ,殺人者の中には矯正不可能な殺人鬼が半分はいて,それらに対しては死刑しかないというような主張をされているようでした。

死刑存続論の方々のお考えもよく知りたいと思います。この方がおっしゃるように,「矯正不能な殺人鬼」が「半分」いるとして,その人には死刑しかないとして,その「死刑適格者」を過不足なく裁判で見極めることができるのでしょうか。刑務官をしていたときの実感として「矯正不可能」と感じられた根拠はどういうことなのでしょうか。

おそらく,「矯正不可能な殺人鬼には死刑しかない。」とおっしゃる背景には,何らかのsentimentがあるのだろうと思いますが,それを自覚した上で,敢えて表に出されていないのか,そもそも自らのsentimentを自覚されていないのか,そのあたりをお尋ねしたい気がしまいた。明確な根拠がなくても心情的に同意する人が一定数いるということを見込んで,「(私は)よく知っているから分かる。」と冷ややかに言われる方を好きになれません。

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忖度2018

以下は、2018年8月5日にメモしたものだったようです。

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国家行政の最高責任者は,「そんなことは言っていない。」と繰り返されますが,人事権,政策決定権を(少なくとも立場上は)全てその方が握ってます。そうすれば,放っておいても「忖度」して,自分の言うことを聞いたような行動をみんながとってくれるのではないでしょうか。それが万一批判されても,「そんな具体的指示は一度もしていない。」と言えばいいと思っていらっしゃるような気がします。

最近の官僚の方々のあからさまな不祥事に,「何であんな不祥事のイロハに書かれていることを,省内全体に不祥事防止を指導する立場の方々が守れなかったのか?」と疑問に思いましたが,遠因は「一人独裁」にあったのではないかと思えてきました。

自分の能力を人事や政策で発揮できない状況が続けば,多くの場合、(1)決定権を握っている者の従者になるか,その者の意向を推し量って,冷遇されないようにする,(2)公式の場で自分の志を遂げることは諦めて,裏での利益追求で鬱憤を晴らす,などの対応をするのではないかと思います。それが普通の公務員でなく,極めて有能な官僚の方々なら余計にそうだろうと思います。

若い頃,「優秀な人なら,悩みなんかないだろう。」と思っていたことがありましたが,下から見れば「十分成果を上げている」と見える人でも,その人の基準や要求水準からすれば不十分かもしれませんし,優秀な人ほど,その能力を十分発揮できる場を求めるのでしょう。

スポーツ界の度重なる不祥事も同様の気がします。「選手にそんな具体的指示は出していない。」というのは,そうかもしれません。しかし,「忖度しないと次からは試合に出してもらえないかもしれない。大学自体の管理職も兼任しているから,部活動以外でも冷遇されるかもしれない。」と思えば忖度するでしょう。「終身会長」などという地位を作って(?)おきながら,「具体的指示も出していないのに,忖度されても困る。」とは・・・。

しかし,某国の小独裁者の方々ばかりでなく,世界の大国の大独裁者についても支持率は下がりません。確かに,これらの方々の独断専行の中には,「誰かが悪者になって今やらなければいけない」というものもあるのでしょう。だとしても,どこかで自浄作用が働かなければ,いつか破綻するのは,行政機関の現最高責任者が好きだと思う戦前の某国の歩みをみても自明だと感じます。

その点某超大国は,独裁者が出ても地方自治が某国より強いし,良くも悪くも国民の考え方のばらつきや差が大きいので,連邦政府が何と言おうと,州単位・市単位では造反することも可能だろうし,現にそうした動きが出ているようです。翻って某国は凝集性が高く,先頭が行く方向にみんな従う傾向があるように思います(私もその一人です)。大丈夫かなあ?

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3年半前のメモは以上です。

今、半藤一利 2009 『昭和史 1926-1945』(平凡社ライブラリー版)と、内田樹 2021 『コロナ後の世界』(文藝春秋)を読んでいます。半藤さんは戦前の日本政府や日本軍の失策(無策?)を克明に述べられ、内田さんは2019年から2020年頃の日本の政治指導者や日本そのものの戦後の在り方について、痛烈に批判されています(と私は感じました)。「〇〇を取り戻す」みたいなスローガンを同時に掲げた二人の指導者が、とりあえず表から退かれた今(お二人とも再起や舞台裏からの影響力行使をなされようとされているのかもしれませんが)、半藤さんや内田さんの論考も読みながら、今を少し考えたいと思っています。

 

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