実録・連合赤軍 -あさま山荘への道程(みち)
18日の土曜日,「テアトル新宿」という小屋で,年甲斐もなく映画のはしごをしました。一本目がこれです。朝11時から何と190分です。結構混んでいて,座席指定で券を売るのに時間がかかり,開始が5分ほど遅れました。
原田芳夫のナレーション,佐野史郎さんがブントの委員長役(後の赤軍の塩見一派の内ゲバに遭う),宮台真司先生もクレジットに出ていましたが確認できませんでした。有名な方はこのくらいだったと思います。(ちょっと参加の動機を聞きたくなる気分ですが・・・)
初めは,60年安保以来の学生運動の流れを復習させてもらいました。「革マルみたいにバリケードから逃げる日和見にならなくてよかった」というせりふ,「そうそう,革マルは組織重視,中核は戦闘重視だっけ」と,昔「勉強」したことを不謹慎に思い出していました。
なも は,「総括」の本来の意味を知る前にこの事件に出会い,ひょっとして「粛清」や「処刑」という意味があるのかと思ったものです。その後,高校に進学し,生徒会でも各期の終わりに「総括」をしているのに出合い,原義を知りました。
あの殺人,極単純化すれば「追い詰められた状況の中で,疑心暗鬼に陥った」ということになるのだろうか。おぼろげに「○○さんは殺されたはず」という記憶があり,初めの方で「あれ,あの人は元はこういう活動をしていたのか」と思いました。殺された後のストップモーションにかぶせて氏名となくなった日付が示され,その後,前の場面のフラッシュバックにかぶせて略歴が紹介されます。
映画の中で彼等が述べる理論は,ソ連が崩壊し中国が市場経済を取り入れている現在では,いかにも青臭く感じられるのですが,なも の学生時代,マル経の教官はごく普通に「体制を変えなければ,問題は解決しない」とおっしゃっていました。「体制を変えただけではだめ」「経済学等はまだ一国の(世界の?)経済を計画できるほど進歩していない(ひょっとして変数や不確定要素の多さから無理?)」「欠陥は多いかもしれないけれど,今のところ資本主義システムを微調整しながら使った方が無難」と思えるようになったのは,あれから30年の世の中の変化を見せられたからでしょう。事件関係者で存命中のN(女性・死刑囚),S(女性・刑事被告人?),S(男性・死刑囚)などは,今あの後の世の中の動きについて,どう考察しているのでしょう?
全く余談ですが,郷里の学校の出身者がかなり含まれていたことに驚きました。それも含め,看護学校や女子短大など,普通に考えると「革命」と縁の遠そうな学校の出身者が含まれていたことを,興味深く(という言い方がいいか疑問ですが)感じました。とりあえず「あのころは,いろいろあったのだろうな」という感想で収めておきます。
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コメント
生活というフィルターを通すと理想と現実が見えてくる。
だからといって素直に理想に燃える若者がいなくなるのも淋しい。
背伸びしたい年頃の女の子にとっては恋人の存在が大きかったのでは・・・。
投稿: まりりん | 2008.05.20 12:14
まりりんさん,改めてコメントをいただき,ありがとうございます。散漫なリコメントで失礼します。
「恋人」「左翼」というテーマは,三田誠広の『僕って何』がもっとずっと軽い感じで扱っていたと思います。(この小説は「新左翼」側からなので,「スターリニストがスタスタ歩いてる」などという記述があって,「代々木」からは批判がありました。)
「心情左翼」だった なも は,高校でほんの少し生徒会にかかわり,「意識の高い」人たちとも少しお知り合いになりました。(我が出身県の県教委の「通知」(?)で俗に「三校禁」というのがあったことを誰か覚えているかな?)
「革命を目指す中での恋愛関係」というのは,身近では見聞きしませんでしたが,昔から「話題」にされることではありますね(そんなことを話題にすること自体が,「反革命的」かも知れませんが・・・)。
この「反革命的」というレッテル,「非国民」というレッテルと何ら変わりがないような気がする。「魔女狩り」とも一緒と言ったら,少し乱暴かしらん・・・
今でも「新左翼」の活動家の方々はいらっしゃると聞きます。理論的に現状をどうとらえていらっしゃるのか,少し興味はあります。(あの無理に分かりにくく書いているのではないかという文章を読むような体力はありませんが・・・)
投稿: なも→まりりんさん | 2008.05.23 00:58