抜け雀

 落語に「抜け雀」という噺があります。固有名詞は出てきませんが,狩野派の名人を父に持つ絵師が,父と意見が合わずに勘当され,無一文で東海道・小田原宿に寄ったときの話ということになっています。

内容は左甚五郎の名人談と同様で,宿代の代わりに屏風に描いた雀が,朝日を浴びると抜け出して,外で餌をついばんで戻ってくるというもの。(主人はお人好しだけれど,絵師が「戻ってくるまで売るな」と言った言葉を守って,領主が千両で買うと言ったのに,売らずに待っている。細かい説明は省きますが,なかなかいい噺で好きです。やっぱ,志ん朝さんのが良かったかな?)

 さて,絵に描いた雀が窓から外に出て餌をついばむなどおということは起こるはずもないのですが,最近社宅のベランダに雀が巣を作ったようで,朝起きて窓を開けると,何羽かが驚いて飛び去ります。「鳩ふん公害」のようなことが起こらないといいと思いつつ,「何となく『抜け雀』みたいだな」と,楽しんでいます。

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歴史民俗博物館

 憲法記念日に川村記念美術館に行った帰り,同じ佐倉市の国立歴史民俗博物館へ寄った。昔,大阪の民俗学博物館へ行って面白かったので,近くにいるうちに一度行ってみたいと思っていたのだが,上総へ来て1年たって,ようやく訪れることができた。
 「なかなか見ごたえがあった」というのが第一の感想である。ちょうど時間が合ったので,山本光正先生という交通史の研究者の方が案内してくださるガイドツアーと,内田順子先生という音楽民俗学の研究者の方が説明してくださる映画会に参加したが,大学のミニ公開講座といった趣きで,どちらも興味深かった。(余談だが,内田先生は東京芸大御出身とのこと,研究テーマを聞けば納得できるのだが,初め聞いたときは,何で歴博と芸大が結びつくのかと思った。)
 特に,この日のガイドツアーのテーマが江戸の旅だったので,なも には,落語の「大山参り」「宿屋の仇討ち」「七度狐」などが思い浮かび,一人にこにこして聞いていたのだった。
 感心したのは,遺跡捏造事件をきちんと取り上げていたり,アイヌ民族の迫害や関東大地震時の朝鮮半島出身者の虐殺について,きちんと説明していたりしたこと。特に後者の我が国における少数民族の問題がちゃんと展示されていたのには,軽い驚きを覚えた。
 この日は美術館と「掛け持ち」だったので時間がなく,まるで高校の歴史の授業のように,近代が駆け足になってしまった。今度また一日がかりでゆっくり見たいと思った。

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川村記念美術館

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 今年の大型連休は仕事の都合などもあって遠出はできなかったが,5月3日に千葉県佐倉市にある,川村記念美術館へ「マチスとボナール展」を見に行った。森の中に噴水池や自然散策路とともにあり,美術館そのものもなかなか面白い造りだった。(左の写真が美術館の建物で,赤い椅子のようなものも作品。右の写真は自然散策路の方にある広場で,真ん中のはやはり作品。)
 所蔵展示だが,初めは「日本人好み」の印象派中心かと思っていたら,すぐにピカソやブラックが出てきて,もっと行くと「彫刻の森」顔敗けの現代アートが現れた。おまけに,尾形光琳や横山大観の一室まである。 企画展に行く前に結構「満腹」になった。
 さて,目当てはボナールだ。別に美術に詳しいわけではないが,中学の美術の教科書に載っていた絵が印象的だった。その絵は,田園風景を描いたものだったが,ほとんど原色の青,黄,赤などが使ってあるのに,決してけばけばしくなく,かえってほんわかした雰囲気が感じられたのだ。
 後から他の多くの作品を見たら,初めに見たような色調のものは必ずしも多くなかったが,原色に近い色を使って落ち着いた雰囲気を作るという手法は,かなり一貫していた。(勿論これも時期によって変化しているが)この雰囲気なら,滅入った時にいいかなと思い,美術出版社の大型の画集まで買ってしまった。
 今回の展示では,カルティエ・ブレッソンなどが撮った,ボナールやマチスの写真も展示されており,ボナールの奥さんマルトが実際に入浴している写真(写真好きだったボナール自身が撮影),ヌードモデルをデッサンしているマチスの写真などを見てから,再び作品を見ると,また違った感慨があった。
 それにしても,DIC株式会社(前社名・大日本インキ化学工業株式会社)1社で(同社のサイトの説明によれば,正確には「関連グループ会社とともに」ということだが)これだけの作品を収集されたとは,ちょっと驚きだった。下種の勘繰りで恐縮だが,つい「お金はいくらかかったのだろう?」と思ってしまった。
 でも,敷地内で地元の方々がお弁当や山野草の鉢を売っていらっしゃり,サイトの説明では運動施設も地元に開放しているとのこと,地元地域とのつながりにはいろいろ気を配っているようだ。敷地内には同社の総合研究所があるので,もともとは研究研修施設だった所を,次第に一般に開放するようになったのだろうか。
 ともあれ,天気が良ければ美術鑑賞と散歩,欲張ればテニスもできそうで,一日のんびり過ごせそうな場所である。また家族と一緒に訪れてみたい。(下の写真は自然散策路に咲いていた花。)

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ペーさんとパー子さん

ペーさんとパー子さん
思いがけず、近くのショッピングモールで、お二人をお見掛けしました。昔、寄席で見た「水戸黄門」はやってもらえませんでしたが。

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忠臣蔵 三・四段目

落語では何度も聞いている忠臣蔵ですが,ちゃんと歌舞伎で見たことはありませんでした。先週の金曜日の夜,教育テレビでやっていたので録画して,翌朝に見ました。

三段目は「鮒じゃ鮒じゃ鮒侍じゃ」のけんか場があるらしいということ,四段目は前半の山場である判官切腹があるということくらいしか知りませんでした。これらは,落語の「淀五郎」に出てくるものです。ちなみに,この噺では抜擢されて名代になり判官の役をもらった沢村淀五郎が,座長の市川團蔵演じる由良之介に舞台まで来てもらえないことで難儀します。

本当は,落語が歌舞伎を題材にしたものでしょうから,変な言い方ですが,「ああ,落語のとおりだ」と思ってしまいました。判官「力也,力也,由良之介はまだか」,力也「未だ,参上,つかまつりませぬ~」のあたりは,五街道雲助師匠演じる「淀五郎」そのままでした(これも逆ですが)。

通して見ていて思ったことは,歌舞伎も含めて芝居というのは,どんなに深刻なテーマを扱っていても,どこかに「笑い」を取り入れるものらしいということ。

次は,「中村仲蔵」で扱われれる「五段目」を見てみたいものです。

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平日の末広亭

連休明けの火曜日に,全く下調べなしで末広亭に行ってしまいました。

初めは,「空いてて,のんびりできるな。」と思って聞いていたのですが,途中から「これはちょっと・・・」という感じになってきました。代演が多いのは,「どうせ客も少ないだろうから・・・」仕方がないのかなあと思いましたが,それは別にしても,6時過ぎから8時半までの間に,めぼしい演者が一人もいらっしゃらなかった。(都合があって,トリが聴けなかったのですが。)

最近は御無沙汰していますが,寄席もときどきはお邪魔しているし,テレビに出ない噺家さんもある程度知っているつもりでしたが,今回は一人として存じ上げている方がいらっしゃらなかった。そして,生意気ながら,面白くなかった。うーん,・・・。

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円歌師匠の人情噺

体調不良で昨日からずっと臥せっていたので,今朝(8月14日)早くに目が覚めてしまい,NHKの「日本の話芸」を見た。途中からだったので,全体の半分も見ていないと思うけれど,円歌師匠の「紺田屋」という話だった。円歌師匠と言えば,最近「授業中」や「浪曲社長」は余り聞かれないにしても,「中沢家の人々」ばかりかと思っていたら,こんな人情噺もされるのだ。

後から,ネットで検索してみたところ,先代もやっておられたようだ。今度,ちゃんと初めから聞いてみたいと思った。

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三味線漫談

タイトルが適切かどうか分からないが,日曜日の晩のラジオ名人寄席で都家かつ江の高座を聞いた。玉置さんの解説では,映画やドラマにも出ていらっしゃったそうだから,お顔は拝見しているかもしれないが,高座を聞いたのは初めてだと思う。玉川スミ師匠とそっくりなことに驚いた。ひょっとして師弟関係でもあるのかしらん。江戸弁で客を「恫喝」しておいて,後で人情味を出して円く収めるというやり方だ。

最近新聞の紹介で見て,「うめ吉」さんという人の俗曲のCDを買った。(「うめ吉 明治大正はやりうた」)ひょっとしたら,この方にも寄席でお会いしたことがあるかも知れないが,か細いような声で「うーちーのラバさーん♪」とやられると,つい聞き入ってしまう。(この「ラバさん」が「loverさん」で,英語圏では元々loverは男性と決まっていたから,これは「酋長の息子」としないとおかしい,と教えてくれたのは,高校の英語の先生だ。)

俗曲といえば三遊亭小円歌師匠。やはり「あす歌」の名前で出ていらっしゃったころに,寄席で出会って好きになった。「むくつけき男性ばかり出るかと思ったら,こんなかっわいーい娘も出るのよ。」とか,「今やこの芸は天然記念物。私を入れて2人だけ。朱鷺は人工繁殖できるけど,あたしゃそれもできない。」とかいうのが決まり文句。(「お言葉どおり」,なかなか可愛らしくていらっしゃいます。(私より少し年長だったと思うけれど。))

「2人だけ」のもう1人は,てっきり玉川スミ師匠のことだと思っていたけれど,ひょっとしてこの「うめ吉」さんのことだったのだろうか。いずれにしろ,うめ吉さんの高座も一度生で拝見したいものだ。

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権太楼一門会

権太楼一門会昼の部に行ってきました。お弟子さんの内,三太楼さんより若い方たちは,「初対面」でなかなか呼吸がつかめませんでした。

三太楼さんの「青菜」,前半は「うんうん,誰がやってもこんな感じ。」と思って聞いていたが,最後の植木屋さんがマネをする所に至り,おかみさんとのやりとりなど,権太楼色が大分出ていたように感じた。ただ,権太楼師匠の形は師匠の個性と一体になっていると思うから,そこから抜けて独自の形に持って行かれるのは大変だろな。(生意気言って申し訳ありません。)

権太楼師の「源平盛衰記」,どうしても三平師のはちゃめちゃや,文治師の江戸っ子調の印象が強過ぎて,新しい演出がつい物足りなく感じてしまう。師匠独特のくすぐりや脱線はなかなか面白かったが,大爆笑のうちに終わる三平師の型を期待してしまうところがあり,静かな終わり方にちょっと戸惑った。

今回は,申し込みが遅くて補助椅子だったが,久しぶりの生の落語は良かった。

(追伸)中入り後のマジックの伊藤夢葉さんは,「何かご質問はありませんか」の一葉さんのお弟子さんでしょうか。落語だけを聞きにきている客の中で,結構健闘していらっしゃって,なかなか楽しめました。喩えはどうかと思いますが,ストリップ劇場で踊り子さんのショーの合間にコントをやるようなお立場ではなかったかと思います。

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桂文朝師の訃報

桂文朝師が亡くなられた。トラックバックをいただいた方もお書きになっているように,高田渡氏ともども,ちょっと早過ぎる。

大分前にラジオのお正月の番組で先代・文楽師の紹介をなさっていたときの,抑えた調子で象徴的なエピソードを上手に話されていた様子が印象に残っています。

師匠の小南師とは少し違った意味で,地味で味のある噺家さんでした。

合掌。

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桂文枝師匠ご逝去

Yahoo!でタイトルのニュースを見つけ,少し驚いています。

・・・「はんなり」とした芸風で、色香ある女性描写が絶品。「天神山」「たちきれ線香」など上方落語独特の三味線、笛、太鼓など「はめもの」が入る音曲噺(ばなし)や芝居噺を得意とした。・・・

私の印象もまさにこのとおりで,まだ「小文枝」の時代に聞いた「たちきれ線香」が,今でも印象に残っています。噺に出てくる置屋の女将さんの何とも言えない女らしさや,若旦那に恋焦がれて亡くなった「こいと」さんの,亡くなった経緯を語る場面の,余分な感情表現を抑えた表現など,今でもありありと思い出されます。

落語を聴き始めたころ大師匠だった,円生や正蔵,上方では松鶴が亡くなり,これからを期待していた枝雀,志ん朝も亡くなっています。もちろん,東京ではさん喬,雲助,歌丸などの各師匠(私の好みで選んでいます),上方でも,すぐに名前は思い出せませんが何人かの,次の世代の師匠方がいらっしゃるので,「落語の行く末」は少しも心配していませんが,文枝師匠の噺は,もう一度くらい生で聞かせていただきたかったと思います。

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朝日名人会

26日,有楽町のマリオン11階,有楽町朝日ホールへ,第49回朝日名人会を聞きに行きました。土曜日の午後2時からだったので,子供たちを留守番させて,本当に久しぶりに家内と噺を聞きに行きました。会の名前は,それを録音したCDで知っていたのですが,1999年から始まった比較的新しい会とは知りませんでした。ひょっとして「前身」があるのでしょうか。

中堅からベテランで名の知れた真打だけでも,さん喬,円窓,歌丸が出るという豪華版。今の馬生さんについては,先代が自分のお気に入りということもあって,余り聞いたことがありませんでしたが,なかなかでした。残り一人は,立川笑志さんで,この方は初対面。「狸賽」という軽めの噺でしたが,まだどんな芸風の方なのか分かりませんでした。

自分で定席の寄席に通って「見つけた」と思っているせいもありますが,さん喬師匠の高座にはいつも何か新しい工夫があり,聞き慣れたネタでも油断ができません。この日の演題は「幾代餅」で,多分さん喬師匠としても気に入っていらっしゃるネタではと思いますが,医者の薮井竹庵先生が出てくるあたりのくすぐりなど,こっけいな部分をぎりぎりまで削り落とし,本当にしっとりした人情噺に仕立てられていました。いつもながら,女性を演じられるときのしぐさは,若いころの文枝師匠とはまた違った色気を感じさせます。

円窓師匠は「叩き蟹」という噺,見慣れない演題でどんな噺かと期待していましたら,甚五郎ネタでした。円窓師匠は一時期とても気に入っていたのですが,最近は生以外でも余り聞いていませんでした。もうかなりお歳を召されていると思いますが,若々しいとぼけた調子の軽いくすぐりが,何とも懐かしかったです。

馬生師匠は,少なくとも襲名されてからは初めて聞いたと思いますが,この日は音曲噺仕立てでの「稽古屋」。唄いなどを全く知りませんので,お上手かどうかの評価はできませんが,故円生師匠の域にまで近付かれるのかなあと楽しみです。「軽くて粋で落ち着いている」といった芸風は,先代馬生師匠に通じるものがあるように思いました。

歌丸師匠が「笑点」でふざけているだけでないことは知っていましたし,人情噺のCDも持っているのですが,生で聞いたのは多分初めてです。この日は「井戸の茶碗」。オチの部分がちょっとあっけなく感じましたが,2人の武士と屑屋とのやり取りのあたりは「手慣れた」演じぶりだったと思います。

2時開演で20分の休憩をはさんで終わったのが5時20分くらい。中堅以上の師匠連の名演を「おなか一杯」楽しみました。思い付きでチケットを買った割には,若干後方ながらほぼ中央のいい席で,周囲も年男の私が一番若い部類ではと感じるほど,落ち着いた方々ばかり,ちょっと上等な雰囲気を味わいました。

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忠臣蔵や落語のこと

師走になり,忠臣蔵の季節です。芝居も浄瑠璃も見たことがありませんが,好きな落語ではいろいろ聞いています。(玉置宏さんのNHKラジオの番組ではかなり前に忠臣蔵を取り上げた噺を段の順に放送されたことがありました。)

私の入門は「中村仲蔵」でした。初めは円楽で聞いたと思います。(以下,噺家さんの敬称は御健在の方でも略します。)円生,志ん生,正蔵(もうすぐこぶ平が継ぎますが,最後に「彦六」と改名して,「正蔵」の名を三平一門に返した先代です。)は,さすが大家だけあって,それぞれに聞き応えがあります。最近では円窓のものが特色があります。

これは,五段目の斧定九郎(漢字が不確か)の役作りで,初代仲蔵が苦労する話です。「世の中のだれも分かってくれなくても,女房一人分かってくれればいいじゃないか。」というくだりが(だれの型でしたか),何となく身につまされて好きです。

判官切腹の4段目には多分たくさんの噺があるのではと思いますが,「淀五郎」が一番だろうと思います。これは最近では雲助のものが好きです。(余談ですが,五街道雲助は最近人情噺の長講を掘り起こしているようで,「名人長二」のCDを新宿紀伊国屋の帝都無線で見つけたときは驚きました。)

これも仲蔵と同じく,大部屋の役者から名代になった沢村淀五郎という人が,突然判官役に抜擢されたものの,由良之介(又漢字不確か)役で座頭の市川だん蔵(この名前は今も残っているそうですね。)に「判官でなく淀五郎が腹切っている所になんか行けるか。」と,花道から近寄ってもらえず,若気の至りで「舞台でだん蔵を本当に刺し殺して自分も自殺する。」と思い詰める噺です。

ここでは,上で役作りに苦労していた仲蔵の三代目が先輩として登場します。「良くて下手芸」とか,つまり芝居で役が見えずに役者ばかり見えているのは最低だということのようです。変に教訓にするとつまらなくなりますが,「役」(地位,ポスト)に就いたときには,「早く俺の独自性を見せてやる。」と気張らず,その「役」に期待されることにまず徹するのが一番なのかなと思っています。

若気の至りを救う噺としては,「刀屋」「阿武松」が思い浮かびます。前者は「おせつ徳三郎」という噺の後半で,お店のお嬢さんといい仲になってしまった丁稚の徳三郎が,暇を出されたあとおせつが祝言を挙げると聞いて,刀屋で刀を買って切り込もうとするところを,刀屋の老主人がなだめます。後者は,4代目の横綱になったという阿武松緑之助が加賀の実家から江戸に出てきたときの話で,飯を食い過ぎると初めの師匠から破門され,このまま田舎へは帰れないと,途中の戸田川で身投げしようとします。そこで,「退職金」をもらっていた阿武松は「死ぬ前に腹一杯食ってから死のう。」と,板橋の宿に泊まって飯を食い出すのですが,その宿の主人が相撲好きだったことから,懇意だった別の関取を紹介されます。

ところで,年末の噺としては,滑稽噺では「掛取り(万歳)」,人情噺としては「芝浜」が好きです。前者は,貧乏長屋の住人が借金取りの好きな芸などを使って,支払いの猶予を勝ち取るもの,本来は最後に三河万歳が出て来るのですが,先代の円生以外に最近この型でやっている人は居ないようです。名古屋出身ですので,子供のころには正月に三河万歳の人が門付けに来て,親が何かご祝儀を渡していました。

「芝浜」は先(々)代の三木助で有名です。飲んだくれの魚屋が女房の機転で立ち直ります。これは,そもそも三題話として即興で作られたのが初めとか聞きます。飲んだくれが立ち直る噺は,他に「子別れ」も有名です。

さてと,今年はテレ朝の「忠臣蔵」でも見て,暮れの慌しさを乗り切りましょうか。

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東京の色物

(注・「色物」とは寄席で落語以外のものを言います。聞くところでは,昔落語以外の演目は黒以外で示したからだとか。)

先週の日曜日,腰痛で臥せっていたため,珍しく午後のNHKラジオで「サンデージョッキー」を聴いていたら,玉川スミ(敬称略。以下同)とあした順子ひろしが出ていた。

「おスミ」こと玉川スミは,御存知・三味線漫談の大御所。客を恫喝するような口調が売り物だが,ここまで大御所になると嫌味を感じない。もちろん,最後にはほろっとさせる。三味線漫談の継承者は知る限りでは,三遊亭小円歌しかいないのでは。小円歌自身は,いつも「今や天然記念物。佐渡島の朱鷺と一緒。私なんか,人工繁殖もできない。」と自嘲気味に言っている。

脇道にそれるが,この小円歌,芸名から分かるように,「山の穴穴・・・」で一世を風靡した(ついでに当時は豪遊もされたようで,それを悔い改めるために僧籍にお入りになったのか?失礼)歌奴 改め 円歌(現 落語協会会長)の弟子。「寄席には男しか出ないと思ってたでしょう。こんな,かわいい娘も出ます。」といつもくすぐりを入れているが,なかなかどうして,かわいらしい人だと思う(我々は芸しか見ていないのだから,「かわいらしい芸」と言うべきか)。聞くところでは,初めは噺家志望だったという。想像するに,今は女流落語家も増えているものの,小円歌の時代にはまだ認められなかったのではなかろうか。

閑話休題。あした順子ひろしのこと。東京の男女しゃべくり漫才の大御所。CDを買って解説を見たら,一時は関西で修行をしていて,若いころは「どつき漫才」をやっていたのだとのこと。そう言えばいつかテレビで「今でもできるわよ」とばかり,どつきを見せてくださっていた。舞台でも出てくるが,夫婦(や元夫婦)ではなく他人。ネタは言ってみればいつも大体同じで,くすぐりに時事ネタを入れるくらい。でもそのマンネリが良かった。

ただ,日曜日の舞台はちょっと心配させられた。もちろんかなりの高齢でいらっしゃるのだが,少し前までは全く歳を感じさせなかったのに,この日はちょっと言葉の切れが悪く,話の展開にときどき詰まるようなところがあった。御病気でなければいいのだが。なお,この手の東京男女漫才では,大空遊平かほりが継承者か。ちなみに,こちらは正真正銘の御夫婦でかほりさんが中心になってweb siteも持っていらっしゃる。(http://www.asahi-net.or.jp/~gt9m-ondr/)

ところで,「何だあんな」と言っていた一昔前の漫才ブームから,必ずしも漫才のままではないが今も活躍する芸人の人たちが生まれた。今のお笑い芸人ブームもきっと何かを生むのだろう。もちろん,今のまま全員が残れる訳ではないのだろうが。

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池田晶子氏のこと

『14歳からの哲学』が話題になっている,あの池田晶子氏のことです。初めてこの方を知ったのは,『考える人―口伝西洋哲学史』と『帰ってきたソクラテス』が話題になったときで,今調べたら1994年です。恥ずかしながら,新聞広告に載っていた著者のお写真を拝見させていただき,お美しかったのがきっかけでした。 当時の感想は,「ものが確かに存在するとは,どういうことか。」といった議論が専門の方のようだけれど,どうしてそれを根拠に社会福祉政策を批判しようとなさるのだろうといったものでした。(このへんで,「何を勘違いしているか。」と立腹される方もおられるかもしれません。また,上記の2冊はもう手元にありませんので,本当に勘違いしているかもしれません。最近,「池田晶子読書会」なるサイトもあることを知りました。(http://www.ikeda-dokushakai.com/index.html))

発表雑誌が『新潮45』だったり,高名な西部邁氏が「この人こそ新しい世代で真に哲学する人」というように絶賛されていたりしたので,もう私の「偏見」は固まってしまったのですが,哲学そのもので社会政策を評価することができるのだろうかというのが私の疑問です。参考までに,「倫理学」からは社会政策の評価が可能なようです。(http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/appliedethics/)(ただ,ここで取り上げられているのは,生命倫理とか死刑廃止問題など,「それを行うことが効率的であるか」とか,「将来の住みよい社会のために適当か」といったことより,「考え方として正しいか」が焦点になっている政策が多いように感じました。)

池田氏の売り出し中のころの著書に戻りますと,記憶が正しければ,『ソクラテス』の方に「全ての老人は老賢者や好々爺ではない。」という趣旨の記述があったと思います。この命題は「理屈としては」正しいかもしれませんが,現実の日本社会の実情として「正しい」かどうかは,また別だと思います。たとえが適切か自信がありませんが,調査した100羽のカラスの中にたまたま何かの事情で「白い」カラスが1羽いたとしたら,確かに「すべてのカラスが黒いわけではない。」でしょうが,だからといって,「カラスが黒いというのはまちがいだ。」とは判断しないと思うのです。

(議論が中途ですが,一旦ここで止めさせていただききます。)

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落語のこと

10代のころから,落語が好きでした。当時(1970年代)は円生や正蔵が好きで,地元の落語会に通っていました。その会でまだ若いころの円菊(以下,現役の師匠についても敬称は略させていただきます。)に出会いました。そう言えば,最近テレビで円菊を見たら,少し言葉の切れが悪くなった御様子。御病気でもされたのでしょうか。

昔は円楽が好きでしたが,歳をとるにつれて,ちょっと説教くさいところが気になるようになりました。志ん朝は,初めはテレビ番組の司会をしているときに知り,歯切れのいい江戸弁が好きだったのですが,噺家としては若くして亡くなってしまいました。枝雀は,「ちょっとやり過ぎ」と思いつつも,少し円熟されたらどうなるだろうと楽しみでしたし,本格的な英語落語の試みにも注目していたのですが,やはり若くして亡くなりました。

東京に住んでいたとき,池袋から近かったので,まだ「3階の畳の間」にあったころの池袋演芸場にしばしば出かけました。そこで知ったのが,さん喬。まだ人気が出る前に出会い,「この人はいいな」と思ったものですから,自分で「発見」したような気になっています。

落語ではありませんが,寄席に通っていて,テレビでは出会えなかった上質の東京漫才の方々に出会いました。一番が順子ひろし。ついに最近CDも買ってしまいました。その解説を読んでいたら,若いころには関西で修行をして,どつき漫才もやっていたとのこと。そう言えば,いつかテレビで「今でもできます」と「どつき」を見せてくださっていたことがありました。ゆきえ・はなこも好きです。

今少し注目しているのが五街道雲助。古典の長講を独自の演出で継承していらっしゃるようで,楽しみです。故人では先代馬生が好きになってきました。

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